|
虚々実々 | ||
| 文字 | |||
|
|||
| 解説 | |||
|
「虚々実々」とは「策略や秘術を巧みに使って戦うこと。相手のすきをうかがって、計略を立てたり手立てを考えること。うそとまことをおりまぜた、
腹の探り合いや駆け引きなどのときにいう」表現である。 2025年は、世界中で、日本でも、真実なのかフェイクなのか判然としない情報が流通・拡散された。オモテの報道・情報提供には、実はウラの意図があるのか。 その意図は時限爆弾のように顕在化するのか。何が「実」で、何が「虚」なのか。判断の軸そのものが揺らぐ光景を、我々は否応なく目にしてきた。 誰もが「実」を掴もうと動いているはずなのに、結果として「虚」に終わることも少なくない。「実」と「虚」は常に対立するものではなく、表裏一体であり、 人の心と同じく、きっかけ一つで容易に反転する。そのことを、世の動きを舞台として突きつけられた一年だったように思われる。 さて、「実」という左右対称の文字は、 @「ウ冠」の 甲骨文や金文に遡ると、 左右を分けて書かれていた痕跡を持つ。Aまた、中心を貫く縦線から左右の払いを抽出すれば「人」の形が立ち現れる。 Bさらに、中間部分を左右に分解すると「非」に見える。「非」の金文は、縦線が下に突き出さず、左右が背き合う形をとる文字であり、これは「実」に背く「虚」を暗示している。つまり、全体として、「実」の内部には、すでに「人」と「非実」が潜んでいるのである。 本作品は、「実」を左右に分解することで、その内側にひそむ「虚(非実)」と、それを担う「人」の存在を浮かび上がらせ、「虚々実々」という状態を視覚化した。 ゴシック体や明朝体を想起させる線は、表層的な正しさや制度としての「実」を、手書き風の線は、内面に潜む含みや揺らぎとしての「虚」を象徴している。 これらが一つの画面に共存するさまは、いつ、誰が、どちらの側にも転じ得るという危うさを物語る。 なお、染み込まない材質の画用紙の裏表紙に揮毫することにより、意図と制御を外れた墨のはじきがうまれた。 それは、日常の場面に突然立ち現れる「虚」と「実」の混在を象徴している。 |
|||
| トップページ | 作品一覧 | 次の作品 |